チッソ株式会社/チッソ 水俣病問題 のバックアップ(No.3)


チッソ 水俣病問題 Edit


1956年

概要 Edit

1956年、熊本県水俣湾で、チッソ株式会社(旧:新日本窒素肥料株式会社)が排出していた有機水銀による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた。

発見から公害認定までの経緯 Edit

  • 1956年5月1日に、熊本県水俣市で原因のわからない病気の発生が確認されていた。
  • 1956年7月1日、原因不明の奇病が8名に達した。
  • 1957年1月25、26日で開かられた水俣保健所など集めた合同研究会で、魚介の中毒説が有力であると判明。
  • 8月13日、水俣湾の漁獲を禁止
  • 1958年7月9日、厚生省科研班が、新日本窒素肥料株式会社水俣工場の廃棄物が港湾を汚染し、魚介類が廃棄物に含まれている化学物質で有毒化し、これを多量に食べるために起こると推定した。
  • 1959年7月14日、熊本大学医学部内の文部省科学研究班は、水俣病の原因について「有機水銀が有力な物質である」と結論に達した。
  • 1968年9月27日、厚生省・科学技術庁が政府見解として「水俣病は公害」と認定した。
    1956年の発見から原因判明まで、12年かかった。

症状 Edit

メチル水銀による中毒性中枢神経疾患であり、その主要な症状としては、四肢末端優位の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、振戦(手足の震え)等がある。患者には重症例から軽症例まで多様な形態が見られ、症状が重篤なときは、狂騒状態から意識不明をきたしたり、さらには死亡したりする場合もある。
一方、比較的軽症の場合には、頭痛、疲労感、味覚・嗅覚の異常、耳鳴りなども見られる。

また、こむら返りが熊本市内に比べて2倍近い頻度で出ていることや
1950年代の水俣市で男性の出生割合が他の年に比べて下がっていることが報告されている。

原因 Edit

チッソ株式会社(旧:新日本窒素肥料株式会社)が排出していた有機水銀が、化学変化してメチル水銀になったと考えられている。
しかし、化学変化するメカニズムはわかってない。

公害認定後 Edit

  • 1990年12月5日、水俣病和解交渉の国側の責任者だった環境庁の官僚山内豊徳が自殺した。
  • 2004年10月15日、最高裁判決により、水俣病の発生・拡大について国・熊本県の責任が確定した。(チッソ水俣病関西訴訟)
  • 2016年2月15日、熊本県が、公害健康被害補償法に基づき、県出身で県外在住の80代女性1人を蒲島郁夫知事が水俣病患者と認定したと発表した。
    今回の認定で、熊本県が認定した水俣病患者は1787人となった。

ソース Edit

二次ソース・関連リンク Edit