チッソ株式会社/チッソ 水俣病問題 のバックアップ(No.2)


チッソ 水俣病問題 Edit


1956年

概要 Edit

1956年、熊本県水俣湾で、チッソ株式会社(旧:新日本窒素肥料株式会社)が排出していた有機水銀による水質汚染や底質汚染を原因とし、魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた。

経緯 Edit

  • 1956年7月1日、原因不明の奇病が8名に達した。
  • 1957年1月25、26日で開かられた水俣保健所など集めた合同研究会で、魚介の中毒説が有力であると判明。
  • 8月13日、水俣湾の漁獲を禁止
  • 1958年7月9日、厚生省科研班が、新日本窒素肥料株式会社水俣工場の廃棄物が港湾を汚染し、魚介類が廃棄物に含まれている化学物質で有毒化し、これを多量に食べるために起こると推定した。
  • 1959年7月14日、熊本大学医学部内の文部省科学研究班は、水俣病の原因について「有機水銀が有力な物質である」と結論に達した。

水俣病の症状 Edit

その後 Edit

  • 1990年12月5日、水俣病和解交渉の国側の責任者だった環境庁のエリート官僚山内豊徳が自殺した。

ソース Edit

二次ソース・関連リンク Edit